2019年4月5日

 

川崎汽船株式会社
代表取締役社長 明珍 幸一

 

 川崎汽船グループの皆さん、創立百周年を迎えるにあたり、皆さんを代表して社長の私からご挨拶させていただきます。

 

 本日、2019年4月5日は、川崎汽船株式会社の会社設立総会が開催された1919年4月5日からちょうど百年にあたります。それから数年遡った1914年、当社の母体となった当時の川崎造船所(現:川崎重工業(株))は、第一次世界大戦の勃発にともない船腹需要が急増することを見越して数多くのストックボートを建造、自ら保有して事業を開始しました。このストックボート戦略は、当初は功を奏したものの、大方の予想より早く大戦が終局を迎えたため暗転し、余剰の船隊を抱える事態となりました。これを機に、1919年4月5日に川崎造船所は11隻の現物出資により海運会社を設立、3日後の4月8日に「営業開始届」を提出し、川崎汽船は海運会社としての第一歩を踏み出したのです。

 

 ここで、会社誕生時のエピソードを一つご紹介します。「川崎汽船50年史」には、『新造船を国外に売却することはいたずらに外国海運を利することになり面白くない。我が国の発展のためにはむしろ国内に新造船を温存し、日本郵船・大阪商船に伍して活躍し得る程度の大規模な海運会社を新設して船舶を運航する事業を興さねばならぬとの思いがあった』、という記述があります。当社は「ストックボートの余剰」という逆境を逆手に取って誕生した会社であり、「Kラインスピリット」の源泉をここに見る想いです。

 

 その後、会社設立時から代々引き継がれてきた「進取の気性」、「自由闊達」、「自主独立」というKラインスピリットのもと、それから幾多の困難を乗り越えて、当社は事業を発展、業容を拡大させていくこととなります。太平洋戦争によって当社船隊が壊滅的な打撃をうけ、また多くの船員が犠牲となった絶望的な状況もありました。軍に徴用され被災し、なかば沈没状態にあった「聖川丸」を引き揚げて主力船隊として復活させ、事業を復興することで、当社は戦後の苦境も乗り越えることができました。

 

 日本が高度経済成長を遂げた1960年代は、工業化の進展や生活水準の向上に伴う資源や原材料の輸送需要が大きく増加するなか、当社は油槽船の船隊整備や、鉄鉱石、石炭、木材、穀物などの輸送に特化した専用船の建造を積極的に進めることとなります。専用船を検討するに際しては、柔軟な発想のもと常にお客様の要望を最大限に汲み上げ、サービス品質の向上と輸送効率の改善を目指してきました。自動車輸送分野を例に挙げれば、従来、日本からは自動車を輸出し、帰りには穀物などバルク貨物を積むことで双方向の収入を確保できるカーバルカーによる配船が標準でした。然しながら、1970年には完成車輸送に特化した日本初の自動車専用船となる「第十とよた丸」を建造することで、在来荷役による貨物ダメージを大きく軽減し、また復航貨物の荷待ちや天候によるスケジュールの遅延を回避することで、飛躍的なサービス品質の改善を成し遂げました。エネルギー輸送分野では1983年に日本籍初のLNG船「尾州丸」においてLNGをマイナス162度で海上輸送するオペレーションを当社が初めて担い、1994年には国内電力会社の要望に耳を傾け、その具現化により電力炭輸送の基本船型となった幅広浅喫水船の一番船となる「CORONA ACE」を建造しました。コンテナ船事業では1986年に北米大陸において邦船社初のコンテナ2段積列車による海陸一貫輸送を開始するなど、当社は「進取の気性」を発揮して「われ先汽船」とも呼ばれ、常に業界をリードする取り組みを続けてきました。最新の環境技術の粋を集めて環境フラッグシップとして建造した「DRIVE GREEN HIGHWAY」も皆様の記憶に新しいところだと思います。

 

 1980年代の後半には、オイルショックなどのエネルギー価格の暴騰、途上国海運の台頭などが重なり、更には1985年のプラザ合意以降は急速な円高の進行が追い討ちをかけ、1995年には1ドルが79円を記録するなど、円コストを抱えて、収入の多くを外貨に頼る当社をはじめとする邦船社の国際競争力は急速に低下しました。その後も、アジア通貨危機、一夜にして需要が蒸発したと言われるリーマンショックによる世界金融危機など内外の経済状況の大きな変動に伴う需要の減少などに翻弄されてきました。また、2000年代前半の海運好況時に大量発注された船舶による世界的な供給過剰など、様々な荒波が押し寄せてきました。当社は困難に直面するたびに、緊急雇用対策、外地への業務移管など抜本的な事業構造改革、そして徹底的なコスト削減など、痛みも伴う様々な施策を断行する一方で、「自由闊達」な企業風土のもとグループ役職員が力を合わせて一丸となって幾多の困難を乗り越えてきました。

 

 現中期経営計画の「飛躍への再生」は今年が最終年度となりますが、「ポートフォリオ戦略転換」、「経営管理の高度化と機能別戦略の強化」、「ESGの取り組み」という三つの重点課題に引き続き注力していきます。事業を取り巻く環境が大きく変動するなか、変化に即した事業ポートフォリオの見直しとして、昨年コンテナ船事業をスピンオフ、邦船2社と事業統合を進めることで規模の利益を享受し、更なる競争力の強化を図りました。また国内港湾運送事業においては(株)上組との協業を進めるなど外部からの資本そして知見の導入を進めました。何れも当社としての強みを生かすため、明確なビジョンのもと『選択と集中』を進めたものです。これらに加え、高コスト船の処分やノンコア資産の処分などの構造改革によるコスト競争力の強化に取り組んだことは先月発表を行ったとおりです。今年は、ドライバルク、エネルギー資源輸送、自動車船、物流・関連事業の四本柱に経営資源の集中と再配賦を徹底的に行い、安定収益基盤の強化を図ると共に、ポートフォリオ戦略転換を仕上げる重要な年となります。

 

 これまで取り組んできた一連の構造改革は、過去の投資の整理であり、この反省に基づき経営管理高度化を導入し、リスク管理を徹底するものです。具体的には、当社船隊、事業のリスクを長年にわたる市況実績のもと体系的に査定します。同じ物差しで定量化し、個々の投資案件を評価、またリスク総量を管理することで身の丈に合った投資を実施していくものです。併せて構造改革によって毀損した自己資本の回復及び財務体質の強化を一歩ずつ進め、「飛躍への再生」を仕上げなければなりません。

 

 今まで築き上げてきたお客様との関係を更に強固にするためマーケティング戦略室、そしてAI・デジタライゼーション推進室を立ち上げました。今後もお客様のニーズをしっかり捉え、そこに先進技術なども絡めてサービスの利便性、品質の向上につなげていきたいと思います。当社サービスの根幹である安全運航では、長年培ったハード面での知見を生かしつつ、ビッグデータ、AIの活用など最先端の情報通信技術も取り入れることで、安全かつ高品質な輸送サービスに更に磨きをかける必要があります。環境にも最大限の配慮をし、持続可能な社会の一員としての責務を果たしていくことも重要な課題です。

 

 これまでお話しした取り組みを進めるため、時代が大きく揺れ動くなか、高くアンテナを張り巡らし、大局を読みながら、一方で緻密な準備に裏打ちされた解決策の提示ができる海運のプロとして常にお客様から信頼を得られるよう努力を続けたいと思います。過去から学ぶのは成功体験ではなく、先達の発想の源泉であり、常にやり方を見直し、変えることは厭わない精神です。柔軟な発想、そしてチャレンジ精神を持って、個々の力を更に高めてお互いに切磋琢磨し合う。そしてグループ役職員が強いチームワークを発揮して、再び「われ先汽船」と呼ばれるよう、「進取の気性」を胸にスピード感を持って企業価値の向上に一緒に全力を尽くしていきましょう。

 

 最後になりますが、本日、百周年という大きな節目を迎えるにあたり、この場をお借りして、当社グループを支え続けてくださったお客様やお取引先様、株主様をはじめとする全てのステークホルダーの皆様に心から感謝申し上げます。また、幾多の困難を乗り越えてKラインという強固なブランドを築き上げてきた諸先輩方に改めて敬意を表すると共に、グループ役職員の皆さんと一緒に新生Kラインの一員としての誇りを胸に、次の百年の歴史を作っていく気概を示すことをここに表明し、私からの挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

 

以上