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“K”LINEの軌跡

開拓と創造。“K”LINEの歴史がそれを証明している。常にこだわり続けた独自戦略とチャレンジ精神。“K”LINEの歴史は、新しい海運事業の開拓と創造の歴史でした。時代の動きを敏感にとらえ、積極的かつ機敏な事業活動によって時代を切り拓いてきた、その証明がここにあります。

1919年(大正8年)川崎汽船設立

創業当時の社屋

第1次世界大戦の勃発により船舶需要が世界的な高まりをみせるなか、当時の川崎造船所ではストックボートを盛んに建造しました。しかし、大戦の終了によって世界の船舶需給は平時の動きに戻り、船舶の過剰は必至となります。この状況に際しても積極的な前進策を進める当時の川崎造船所社長の松方幸次郎は「新造船を国外に売却することは、いたずらに外国海運に利益を与えるだけである。わが国の発展のためには、むしろ国内に新造船を温存し、郵船・商船に伍して活躍しうる程度の大規模な海運会社を新設し、船舶を運航する事業を興さねばならない」と考え、1919年4月川崎汽船は設立されました。

※ストックボート:当時の標準的な貨物船。需要の拡大を先読みして特定の顧客を持つ前から建造された船。

1921年(大正10年)“K”LINE誕生

(上)大正10年ロンドンにおいて“K”LINE設立。2列目中央が松方幸次郎。

(下)ファンネルマークは赤地に白文字の「K」

1921年に川崎汽船、川崎造船所、国際汽船の3社社長を兼任していた松方幸次郎は、ロンドンに逗留していました。そこで松方は広く関係者を集め、3社が持つ船隊を1つの旗印の下に運航する構想を打ち明け、ただちに3社の神戸本店(当時)に指示を出しました。その席で新機構のトレードネーム、ファンネルマーク、ハウスフラッグなどについても話し合われ、結局新ライン名は3社のローマ字表記のイニシャルをとって単純明快な「”K” LINE」に決定しました。こうして「”K” LINE」はロンドンの古風で格調高いホテルの一室で生まれたのです。ファンネルマークはどこにいても一目でわかる赤地に白文字の「K」としました。長期航海中の船長の中には、ファンネルマークの変更を知らず、赤いファンネルの僚船を見て、「早く上塗りをしないとみっともないぞ」と注意する者もいました。下塗り(サビ止め)の色と勘違いをしていたのです。注意した船長があわてて自船のファンネルを塗り替えたことは言うまでもありません。また洋上で、赤地に白い「K」のマークを見て、一体どこの船かと不審に思ったところ、神戸に帰港してみると自社船のマークであったなど、急なファンネルマーク変更をめぐって沢山の逸話が残っています。

※ファンネルマーク:船の煙突部分をファンネルと呼び、船会社ごとにファンネルのデザインが異なる。

※僚船:同じ会社に属する船

1948年(昭和23年)戦後の復興と日本からアジア、アジアから世界への進出

(上)戦後沈没していた「聖川丸」を引き揚げ

(下)引き揚げられた「聖川丸」を外国航路へ投入

設立以来紆余曲折を経ながら業容を拡大してきた“K”LINEですが、太平洋戦争の終焉により戦前72隻を擁した船隊は戦争による喪失などにより戦後は12隻にまで減少しました。しかし戦後日本の高度経済成長の波に乗って、船腹の拡充を図り、バンコク航路を皮切りにアジア航路への進出を開始。1964年にタイ、1968年に香港、そして1974年にシンガポールと、積極的にアジア各地に拠点を設置していきます。その後、アジア域内ばかりでなく、アジア・北米間、アジア・欧州間など航路の再編成、拡大、サービスの合理化なども次々と実施。邦船社で初めてアジア・北米間の単独配船を行うなど、その取り組みは大胆かつ先取にとんだものでした。現在も物流の中心はアジアであり、“K”LINEが世界でも有数のコンテナサービスを展開している背景にはいち早いアジアへの進出という布石があったのです。

1968年(昭和43年)驚天動地といわれたコンテナ航路の独自開発

(上)当時のコンテナ船フラッグシップ「Golden Gate Bridge」

(下)北米西岸に荷揚げされたコンテナは鉄道を使って内陸部へ輸送される

19世紀に世界の定期海運サービスが始まって以来、最大の技術革新といわれるのが「コンテナリゼーション」です。その世界的なうねりが訪れたのが、1960年代中盤のことでした。コンテナサービスには莫大な投資が必要となるため、当初こそ共同経営でそのサービスを実施しましたが、“K”LINEは徐々にその独自性を発揮していくことになります。カリフォルニア航路をコンテナ化した翌年の1969年から主要航路のほとんどを続々とコンテナ化。1971年には、三国間コンテナ航路、極東・北米太平洋岸航路を単独で開設しました。最初のコンテナ化からわずか3年後の単独による三国間航路開設は、当時としては驚天動地ともいえる出来事で、“K”LINEの独自性が発揮されたエピソードとして今でも語り継がれています。そもそもこうした“K”LINEの試みには一貫したコンテナ化における独自の基本的思想がありました。それはコンテナ化を単なる海上輸送の革新ととらえず、海上・陸上・ターミナルオペレーションを統合する海陸一貫輸送という総合物流の革新だととらえたことです。当時はまだ少数派であったこの考え方は、のちの“K”LINEの独自戦略に大きく生きてくることになります。

※三国間航路:自国と外国間ではなく、外国間をつなぐ航路。川崎汽船の場合、日本を経由しない外国間輸送に従事すること。

1970年(昭和45年)日本初の「自動車専用船」の建造を果す

(上)初期の自動車穀物兼用船

(下)日本初の自動車専用船「第十とよた丸」

時代の産業を見抜くこと。海運会社にはときとしてそんな大きな決断が求められます。日本の自動車産業は、1980年に米国を抜いて世界一の生産国になって以来、年々その生産性を伸ばして、日本の代表的な輸出産業となっています。しかし“K”LINEが、こうした自動車産業の将来性に着目し、思い切った戦略を次々に打ち立てたのは1960年代のこと。当時、自動車輸送は往路に自動車を積み、復路に穀物を積むという自動車穀物兼用船を使うのが常識でした。しかし、“K”LINEは1970年に日本で初めての自動車専用船「第十とよた丸」を建造、このとき命名された「自動車専用船(Pure Car Carrier)」という名称は、PCCという名の海運用語にもなっています。その後も1972年に当時世界最大のPCCを建造、世界を視野に入れた大型化の口火を切ることになりました。自動車専用船の輸送では高度な品質管理が求められるため、現在でもそのサービスを提供できる船会社は世界に数社しかありません。“K”LINEは自動車輸送の先駆けとして、日本発着はもちろん、三国間輸送にも積極的に参画。世界の自動車産業の発展に貢献するとともに、トップクラスのCar Carrierとして確固たる地位を築き上げています。

1971年(昭和46年)他社のモデルケースにもなったターミナル設計

(上)ITを駆使した効率的な荷役が行われるコンテナターミナル

(下)広大な土地をもつ北米西岸ロングビーチの自社運営ターミナル

コンテナリゼーションの本格化、そしてその先の海陸一貫輸送の実施を予期していた“K”LINEは、近い将来に大量のコンテナをオペレーションできるコンテナターミナルの必要性を見通していました。そして、コンテナ船が日本でまだ一般化していない時期から、ターミナルの自社保有を目指したのです。1971年には“K”LINE単独の三国間航路、極東・北米太平洋岸航路の開設に先駆けて、ロングビーチに現地法人を設立、自社ターミナルの使用を開始しました。その後も東京、神戸などの国内ターミナルや北米西岸にターミナルをオープン。現在も世界各地で新規ターミナル開設の案件が検討されています。“K”LINEのターミナル設計のコンセプトは、“K”LINE独自のサービスを提供したい、そしてまた、世界で一番のシステムをもち、最も経済的で効率がよく、更に10年後でも世界の最先端に留まっていられるようなものを造ろう、という強い意志に支えられたものでした。トランスファークレーンの採用、貨物の積みつけプランのコンピューター化、ハイブリッドタイプのクレーンの採用など、“K”LINEのターミナル設計は他社のモデルケースにもなりました。

1985年(昭和60年)打ち寄せる新しい波

(上)上海にある現地法人"K"Line(China)Ltd.の周辺オフィス群

(下)米国東岸のRichmondにある現地法人"K"Line America Inc. 本社ビル

1960年代末に外航海運をめぐる環境は大きく変化しました。エネルギーコストの暴騰と世界経済の成長減速による荷動きの低迷、船舶の過剰、途上国海運の台頭など、いずれも日本船の国際的なコスト競争力の低落を招くものでした。追い討ちをかけるように1985年、プラザ合意が成立。以後急速に円高が進行します。“K”LINEを含む日本の外航海運会社はその国際性ゆえにドルで収入を得ることが多く、一方国内諸経費は円で支払っているために円の対ドルレートが上がればそのまま円換算で収入が目減りする構造でした。“K”LINEもこうした多くの国際的な環境変化の中で、国際競争力の維持に苦心を重ねることになります。しかし、徹底的な事業の見直し、航路の再編、また海外オフィスの現地法人化などあらゆる施策をとってコストの削減に努め、その結果、国際的にも十分に競争力のある企業体質を構築するに至りました。“K”LINEは設立以来様々な荒波を乗り越えることで、“K”LINEスピリットと呼ばれる自主独立、自由闊達、進取の気性に代表される企業風土を培ってきたのです。

2003年(平成15年)中国の活況と海運

(上)エネルギー資源の輸入量が増加する中国。写真は鉄鉱石荷揚中の船。

(下)中国南部のコンテナターミナル。大型船だけでなく様々な船が行き交う。

構造的不況産業といわれた時代を乗り越え、“K”LINEはまた新たな1ページを綴ることになります。それは中国の圧倒的な経済成長に影響を受けたものでした。21世紀を迎えるとオリンピックや万博などの国家的プロジェクトを抱える中国の生産活動は想像をこえたレベルで成長を続け、ついには世界中の海運会社が中国の挙動に注目するようになっていました。“K”LINEはコンテナ船においてアジア各国の海運3社とアライアンスを組み、中国沿岸部へのきめ細かい寄港スケジュールを実現。また豊富な船隊を活かし鉄鉱石などの資源輸送を早くから中国向けに展開。さらに、これまでのノウハウを駆使して中国沿岸部における自動車専用船の内航サービスを構築してきました。

2007年(平成19年)新たなビジネスへの挑戦

(上) 建造されたオフショア支援船(石油生産プラットフォームなどへの人員・物資の輸送に従事)

(下)洋上石油掘削基地のイメージ

21世紀を迎え、人口の増加や新興国の経済発展を背景に世界のエネルギー需要はますます高まっており、石炭、石油、天然ガスなどの資源価格の高騰や科学技術の進歩により、今後は海底下の資源開発が活発化していくことが予想されています。
そのような中、これまでエネルギー資源の海上輸送に従事してきた“K”LINEでは、より一層のビジネスチャンスをつかむべく、エネルギー関連ビジネスの上流への事業領域拡大に取り組んでいます。エネルギー資源を「運ぶ」だけではなく、資源を「開発・生産」する分野に進出し、船を使ったサービスを始めました。具体的には2007年にノルウェーの船舶投資会社と合弁で「KLine Offshore AS」を設立し、洋上の石油掘削設備、石油生産プラットフォームへの支援を行うオフショア支援船事業を開始しました。

2010年(平成22年)環境対策でも世界をリードする企業へ

(上)「グリーンフラッグ」授賞式(LONG BEACHにて)

(下)環境に配慮したハイブリッド型トランスファークレーン

米国ロングビーチ港の「グリーンフラッグ」5年連続受賞 。
船舶からの排気ガス抑制を目的とした指定沿岸海域での減速航行運動において、当社はロングビーチ港より表彰船社としてプレスリリースされました。この表彰は2010年が5年目で、当社の受賞は5年連続となります。この減速航行運動は、ロングビーチ港に寄港する船会社の自主的な協力を求めているもので、同港に寄港する船舶に対して、付近40マイル(約74キロメートル)以内の海域ではスピードを12ノット以下に落として船舶からの排気ガス量を抑制し、同港付近の大気汚染防止を図るものです。当社はこの運動に積極的に取り組んでおり、2009年は、同港寄港隻数232隻のうち、付近40マイル以内では達成率96.9%を記録し、年間100隻以上寄港させている船社の中ではトップの成績をあげ、この取組みにより、2009年の一年間でCO2排出量を約4400トン削減することができました。
川崎汽船グループは独自の取り組みはもちろんのこと、世界各地各港の環境保全への取り組みにも積極的に参画し、地球環境の保護に貢献していきます。

2013年(平成25年)激動する世界経済の中で

(上)インドでの二輪車3段積シャーシ国内輸送

(下)新造LNG船発注

リーマンショック、欧州危機など近年の海運業を取り巻く環境は厳しく不安定です。世界を舞台にしている為、世界経済の影響を大きく受けるのは宿命でもあります。そのような厳しい環境下で生き残り且つ持続的成長を実現させる為守り一辺倒ではなく、成長を見込める分野に積極的投資するといった「メリハリ」のある事業運営を行っています。当社の主力事業の一つであるコンテナ部門で新造大型コンテナ船5隻を発注。厳しい時期にあえて投資する事でコスト競争力のある船隊整備が可能となります。一方シェールガス革命等で話題を集め、今後成長が見込めるLNG部門では新造船3隻の長期定期傭船契約・造船契約を締結致しました。このように将来の成長への布石を着実に実行しております。
海運業以外でも、「顧客ニーズに基づく地元密着型サービス」という物流事業のコンセプトの下、現地法人が中心となり現地に根ざしたビジネスを行っております。具体的には、インドネシアで行われている「二輪車3段積シャーシ国内輸送」をインドでも開始。その他にも、成長著しいインドでは、「内航船事業」、「ミルクラン」など新規事業を立ち上げました。

2017年(平成29年)飛躍への再生

(上)最新の自動車運搬船 環境負荷を大幅に削減

(下)ONEの誕生 新たな体制で世界と戦う

市況変動の影響を受けやすい海運業界の中で、大型コンテナ船や当社が独自開発したコロナシリーズ(石炭輸送船)、最新型自動車専用船などが竣工し、常にコスト競争力を高めてきました。
2017年には、2019年までの新たな中期経営計画も策定し、事業基盤を再構築しながら、更なる飛躍への第一歩を踏み出しました。
そして、定期コンテナ船事業及び海外コンテナターミナル事業をスピンオフし、株式会社商船三井、及び日本郵船株式会社両社の同事業との統合を決定。世界のコンテナメガキャリアに比肩する、世界最大規模のコンテナ事業会社「Ocean Network Express」を設立しました。
また、他社に先駆けて2050年までを見据えた環境への取り組みを進めています。世界をリードする環境フラッグシップとして建造された Drive Green Highwayは、その環境性能が評価され、「Ship of the year 2016大賞」を受賞しました。気候変動への対応においても、NGO団体CDPから世界のリーダー企業に与えられる最高評価、「気候変動Aリスト」の認定を2年連続で受けるなど、名実共に環境フロントランナーとなりました。

2019年(平成31年)これからの“K”LINE

(上)東京都内の研修所

(下)東京本社に海外ナショナルスタッフを集めて研修を開催

“K”LINEは2019年に創立100周年を迎えます。
世界のインフラを支える海運にとって、事業の拡大もさることながら安全運航や環境への取り組みは社会からの要請に応えるものでなくてはならず、それを支える質の高い船舶管理体制の確立、グローバルな規模での海事技術者の確保、育成に取り組んでいます。
近年の海運業界は目まぐるしく変わる世界経済同様、先行き不透明な部分があります。しかし、“K”LINEは安全運航、環境への取り組み、海事技術者も陸上スタッフも含めた従業員の育成を怠ることなく、事業の選択と集中を進めています。90年近くに及ぶ歴史で培った輸送ノウハウと荒波を越えた歴史に学ぶことにより、“K”LINEが常にこだわり続けた独自戦略とチャレンジ精神の下、世界でそのブランド力を認められる「エクセレントグローバルキャリア」を目指して航海を続けています。

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